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執筆者の写真ノジ マリン

My Mother ship (私の母なる船)

更新日:2020年8月13日

先日、私が現在お世話になっている会社に海洋系の学生さんが会社訪問に来られ、

卒業前の自分を想い出しました。

Mother ship、そのまま訳すと母船や空母的になりますが、船乗りが初めて乗船した船を

そう呼びます。 実習生として初めて乗船した商船学校や航海訓練所の練習船をそう呼ばれる

方もいるでしょうし、私の場合は自分が社会人になりプロの船乗りとして初めて乗船した

最初の船をそう呼んでいます。

S.S. ELEFTHEROU POLIS 、載貨重量トン約30万トンの大型原油タンカーが私の

Mother shipです。 名前が長くて読みにくいので皆 “エロポリ” と呼んでました。

船の全長は東京タワーや東京駅より長く、幅も60メートル位あったと思います。

船名の最初に付けたS.S はSteam Shipの略、つまり蒸気タービン推進船の意味です。

( ちなみにディーゼルエンジンや電気推進船はM.S : Motor Ship と表します )。

就職した海運会社は当時世界一の運航船腹量を誇っており、42万トンのULCC ( Ultra Large

Crude oil Carrier ) 2隻を筆頭に多くのVLCC ( Very Large Crude oil Carrier ) やその他タンカー、バラ積み船 ・ 一般貨物船がいました。

同期入社のK君と二人 ( どちらも飛行機に乗るのが初めてでした ) だけの、成田 > マニラ >

バンコク > ドバイと、不安いっぱいの旅でした。

ペルシャ湾の外側のKhor Al Fakkan 沖でペルシャ湾に向け航行中の本船に高速艇で接舷、

航行しながら重いスーツケースを持って乗り移り、空船状態の長~いタラップを上りました。

船は巨大なのはもちろんですが、エレベーター、スイミングプールや簡単な手術可能な病室・器具も

揃っていて一時期船医も乗船してました。

部屋は毎朝ボーイさんが掃除 ・ ベッドメーキングしてくれ、食事も おかず がいつも 5品 はあって

豪華でした。

あと、暑いペルシャ湾に備えて、ソフトクリーム製造機もありました。

スクリュープロペラが写っている写真はポルトガルの LISNAVE DOCKで入渠中の1コマです。

渠底で作業している人間の大きさと比べると、その大きさがわかると思います。

一緒に乗船したK君は先に下船しましたが私は結局このELEFTHEROU POLISでお正月を2回

過ごしました。

理由は上級資格の口述試験受験に必要な乗船履歴を一日も早く付けたかったからです。

長い間 喜望峰経由でヨーロッパ ~ ペルシャ湾航路に従事していた (船が大きい為、スエズ

運河は通行できないので) ELEFTHEROU POLIS も晩年は日本籍船になり、船名も輝光丸と

なり、長崎県橘湾での石油備蓄に従事したのを最後にその生涯を終えたようです。

この連休中に有楽町を歩いていて、ふと当時その会社の東京本社があったビルが目に入り、

入社試験や成田空港から外地へ飛ぶ前に事務所を訪れた時のことを想い出しました。

現在就職活動中で海運会社・乗船勤務を目指されている学生さんたちが希望叶ってその道へ

無事進まれますように・・・。





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