青函連絡船 八甲田丸の想い出
- ノジ マリン

- 11月22日
- 読了時間: 2分
先日、48年ぶりに函館を訪れました。
前回は学生時代に後輩と何の予約もせずに行き当たりばったりの
貧乏旅行でしたが、今回はカミさんと・・・。
宿泊したホテルのすぐ近くに青函連絡船で活躍した 摩周丸 が展示館として
係留されていたので訪れてみました。
操舵室、無線室、客室の一部がそのまま、又、船で使う安全装備や機関部品、
かつての各船の模型や写真などが展示されており、48年前に札幌から夜行の
鈍行列車で函館に着いて観光した後、青函連絡船に乗船した時のことを想い
だしました。
当時乗船した船は 八甲田丸 。 5,000トンを超える大きな船でした。
客室の座席に座っていると、一等機関士の肩章を付けた方が歩いてこられたので、
商船学校の学生ですと名乗り、船内(旅客の立ち入らない場所)を見学させて
頂けませんかとお願いしたところ、船長・機関長が許可してくださり見学させて
いただきました。
珍しかったのは、多くの列車を搭載する車両甲板がある為、機関室の高さを低くする
必要があるので (フェリーも同じですね)、大型のメインエンジンを1~2基ドンと
置くのではなく、中型の8基のエンジンを4基ずつ前後に配置してありました。
これで1万馬力以上を出して、20ノット以上で疾走していたんですね。
当直の二等機関士の方が、「今、3基 x 3基で運転して、2基は整備中です」
と言われたのを覚えています。
あと印象的だったのは、「ナンバン」(操機長・英語でNo.1 Oiler、機関部の
部員さんで最上位の方。ちなみに甲板部は甲板長、ボースン)が車両甲板を
扉越しに見せてくださったことです。
ものすごい数の貨車が何列にも敷かれたレールの上にズラ~ッと整然と
並んでいる光景はものすごい迫力でした。
摩周丸では残念ながら機関室と車両甲板の公開はされていませんが、
船内で目を閉じると、船乗りを目指し、当時甲種1等の筆記試験を最年少で
合格、海・船を見て意気揚々としていた若い頃の自分を想い出しました。






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